2008年5月5日月曜日

光と光源

ステンドグラスも含め、ガラス工芸を語るとき、とかく光についての言及が繰り返される。

光とは何なのか、それは考えるまでもないことかも知れない。 誰もが光を見ており、知っている。 しかし、これが科学であれば厳密な定義が求められると同時に、そのこと自体が追求の対象となる。 色彩と同様に。 そして現在、物理的には色彩と同様に、基本的に定義は定まっている。 つまり電磁波の一種である。 しかし電磁波とは何かということになると、これはそう簡単に一つの言葉で置き換えるわけには行かないし、物理学者でもない素人が強いて説明するとすれば科学事典か百科事典をそのまま引用する他はあるまい。

それでも、
工芸、デザインなどのアートを考える上でも、それを言葉で考え、説明しようとする限り、科学的な定義や説明を手がかりに出発するほかはないだろう。

光は電磁波であって粒子として振る舞うものだといわれている。粒子といっても砂粒や小麦粉のように固まって容器に入っていたり、空中に飛散したり、沈殿したりするわけではなく、高速の光速で動いている。 最近は光を何らかの方法で閉じ込めたり出来るらしいが、それは極微の世界のはなしで、この際あまり関係はなさそうだ。

というわけで、波動として光速で進み、粒子としても極微の光を見るということはナンセンスであることが分かる。 第一、ものを見るということは光を当てて反射させたり、透過させて見るということであるから、光に光を当てて見るなど、そんなことが出来るわけがない。

それにも関わらず人は紛れもなく光を見る。 ガラス工芸を論じる際には光を貯めるとか、自由自在に操れるかの様な表現もよく見受けられる。

要するに、人は光を見ていると思うとき、光そのものではなく、光源を見ているのである。光源を見ると考えることによって、それ以後の論議を進めることができるようになるだろう。

そこで、
光源とは何か、がまた問題になることだろう。
物理的にはこれはきわめて簡単に片付くことかも知れない。
光の発生源といえば一応はそれで済む。
しかし、逆に、
芸術家や工芸家の立場からはそのような定義では満足できないのではあるまいか。

光源とは何だろう?

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